(火事の夢)シンクロニシティ

こんにちは。

じっけんば やもり所長 兼 やもり昆虫館館長のやもりです。

 

前回に引き続き、今日も私が経験したシンクロニシティの話を聞いてください。

 

すみません、今回は本当に怖いというか悲惨な話なので、苦手な方はスルーしてくださいね。

 

小学生だったある日、私は同級生が火事で焼死する夢を見ました。

私は小学校3年生の終わり頃までH県に住んでいて、そこでの話なので、おそらく2年生か3年生の時のことです。

 

夢の中で亡くなったのは、特に親しくしていたわけでもない子でした。

その夢が何とも生々しくて、それでなくても火事で人が死ぬ夢なんて気持ちのいいものではないですから、私はしばらくその子の顔を見るたびに、なんだか怖い感じがしていました。

 

それから時が過ぎて、私は大学生になっていました。

私は東京で一人暮らしを始めていて、両親ももうずっとS県に住んでいたのですが、その日はたまたま、昔いたH県にある親戚のお家に泊りがけでお邪魔していました。

 

ところが朝、朝刊を読んでいた私はとんでもない記事を目にしました。

「K市の住宅で火災、J・Kさん(20歳)が焼死」

 

「J・Kさん」とは私が小学生時代に焼死する夢を見てしまった同級生の名前です。

火災の発生場所といい、年齢といい、おそらく、あの子本人に間違いありません。

Jさんという苗字も相当に珍しいんです。

 

私は小学生時代に見た悪夢が現実になってしまったことに驚愕。

 

さらに、その当時すでに東京に住んでいた私がめったに来ることのないH県にたまたま来ていて(この時も7、8年ぶり)、そして、まさにピンポイントで、その日の朝刊のローカル記事を目にしたということに、見えない力にそう仕向けられたような、なんとも不思議な心持ちがしました。

 

ところで、どうして「私が」そんな夢を見なくてはならなかったんでしょう?

 

夢を見たのがJ・Kさんご本人だったら、それを警告夢と受け取って、なんとなく火事に気を付けるようになって、被害を回避できたかもしれないのに。

特に親しくしていた子でもなかったのに。

 

しかも地方版の新聞記事まで ご丁寧になぜ見せられる?

 

そのこともずっと不思議に思いつつも、さほど深くは考えずに来たのですが、ある日「あっ!」と思い当たりました。

 

J・Kさんのファーストネームの「K」、私の下の名前も「K」。

漢字などまったく同じではないのですが、9割方は同じ。

J・Kさんの「K」で検索をかけたら、私の「K」も間違いなく出てくるくらいに、ほぼ同じ。

 

前回の記事で、宇宙にはまるで巨大な検索エンジンがあって、探したいキーワードで検索したのに、それとは別の関連情報がヒットしてしまうようなことがよくある、シンクロニシティではそういう「ちょっとズレてる」ことがよく起こる、ってお話をさせていただいたこと、覚えていらっしゃいますか。

 

この場合は、「H県K市のT小学校3学年に在学中の私」で検索をかけられたのに、同級生でファーストネームがほぼ同じJ・Kさんの情報がヒットしてしまって、間違いのまま私あてにJ・Kさんの未来の警告が送り込まれてきたかのようです。

 

それから、もう一つ。

これは予知夢だったんでしょうか?

 

うーん。

そうだと言えばそうだし、そうじゃないと言えばそうなるし。

 

どっちつかずのことを言っちゃってすみません。

 

というのも、私はいわゆる未来予知と呼ばれるものが、「動かしようのない決定事項の未来を予言する」という意味なのだったら、それはあり得ないと思っているのです。

 

人間には自由意思があるからです。

 

その時々で無数にある可能性の中から、自分の意思で選択を繰り返していけるから、変更不可能な決まった未来などあり得ないからです。

 

J・Kさんの場合で言うと、就職や進学でその時、郷里のH県を離れていたかもしれない、その日に旅行していて家にいなかったかもしれない、たまたまトイレに起きて、燃え広がりかけている火に気が付いて逃げられたかもしれない、家が改築されて燃えにくい素材に変わっていたかもしれない・・・・等々。

 

ただし、その時点での諸条件から、最も蓋然性が高い未来像をはじき出すことはありうると思います。

 

そう、あくまで「その時点での」諸条件。

ですから、こんなものはたいていの場合、その次の瞬間から、人間が選択を繰り返すなかで変わってしまうものです。

 

ところが、このエピソードの場合は、J・Kさんの、十数年前の時点での諸条件からはじき出された最も蓋然性が高い未来像を、私の潜在意識が間違いでキャッチして夢に見、その後、それが不幸にも変更を加えられることなく現実になってしまった、ということなのだろうと思います。

 

それではまた。